★   ★  水倉りすかの魔法は、属性《パターン》を『水』、種類《カテゴリ》を『時間』とする、運命干渉《かんしょう》系の能力だ。運命干渉系の魔法は所有しているだけで丙《へい》種魔法技能が認められるほどにレアな魔法系統なので、それだけでもりすかの優秀性は分かると思うのだが、だが、それでも(それだからこそ)ぼくがりすかを『手に余る』と判断したのは、りすかの魔法が自分の内の運命にしか向いていないからだ。誰にでも理解できるよう噛み砕いた表現を選へば——自分の中の時間を操作できる能力、とでも言えばいいのだろうか。たとえば今の場合、『数時間後』、ここから電車を数本乗り換えて福岡県博多市の新木砂駅に到着するまでの『時間』を——省略した、ということだ。短絡的に判断すれば、省略したのは時間ではなく空間のようにも思えるが、時間と空間が本質的に似たようなものであることは、何の取り得もない普通人の同級生にだって知っている人間がいるくらい有名な事実だし、無論、りすかは空間を伴わずに、『時間』『だけ』を省略することもできる。たとえば——先ほどのように、りすかが愛用しているあのカッターナイフで、指先を傷つけた、としよう。 その傷の治癒《ちゆ》に三日数えなければならないとして——その三日を、りすかは省略できる、ということだ。『運命干渉』——実際、その通り。りすかが『時間』を省略してしまうことで、未来は変わってしまうのだから。普通なら払わねばならなかった電車料金を一銭も払わずに済ませたというような小さなことから、あるいは、大きなことまで。言ってしまえばりすかの魔法は『未来を変革する能力』——『未来の変革』。少なくともその言葉面だけ見れば、ぼくとしては本当に望むところの魔法だったので、一年少し前、それをりすかから聞いて、この目で見せてもらったときは(後からその意味のなさに気付いた今となっては赤面ものだが)、ぼくは素直に感動を憶えたものだった。だが——残念ながら、『手に余る』。自分の内の運命にしか向いていない魔法……時間を飛ばしたところでそこに記憶は伴わないし(五時間後の未来に『飛んだ』からと言って、その五時間の記憶が付属してくるわけではない。記憶と思考は、『五時間前』のそのままなのだ)、たとえばさっきも話したように、魔道書を写し始めて、三時間くらい掛かるだろうからといってその三時間を『早送り』しても、魔道書の写しは完成しない(それを『着替えるのが面倒でも着替えなければならない』——と、りすか自身は説明した)。ごくほとんどの場合において、本人にとって以外は意味をなさない魔法なのだ。それでは単純な瞬間移動、テレポーテーションの能力とほとんど変わりない。『ある手段』をとればりすかと共に『時間』『空問』を移動することは可能だが、しかし、『省略』だろうが『早送り』だろうが、相対的には時間は経過しているわけだから、二時間飛ばせば二時間分だけ生命としての寿命を消費する。愚劣な馬鹿どもならまだしも、ぼくなら二時間あればどれほどものが考えられるかということを思えば、それは冗談でも考えられない時間の——無駄な『時間』の消費だ。また、今の、十歳の水倉りすかでは時間を『前』にしか進められないので——『時間は不可逆的なもの』というあの理屈だ——消費した時間を取り戻すことはできない。ちなみにりすかが『消費できる時間は(一応)十日を限度としている。十日ずつとは言え、積み重ねていけば結構な寿命を消費しそうなものなのだけれど—— 「——それでも、りすかは早死になんてしない」ぼくは呟く。「何故なら、りすかは真実の意味で、どうしようもなく魔女だから」 『赤き時の魔女』。故郷の魔道市、森屋敷市ではそんな称号を、七歳にして得ていたそうだ。『魔法の王国』内においても——基準をそこにおいても、りすかは天才的な魔法使いだった、ということらしい。もっとも、りすかの天才は、りすかの責任ではなく——りすかの父親の責任、なのだけど。そう——父親。父親、である。それが、りすかの目的だった。水倉りすかの目的。端的に言うならば——『父親探し』。と、そこまで考えたとき、りすかの机の上の、黒電話が鳴った。相手はわかりきっているので、ぼくは受話器を取る。 『もしもし?キズタカ?』 「うん」 『ごめん。謝るのがわたしなの。誤ったのもわたし。やっぱこれ、魔法関係みたいなの。ごめんね、偉そうなこと言ったのがわたしで』 「あっそう」それはしてみれば予想済みの事態なので、ぼくは頷くだけだ。「それで、どうする?」 『ん……魔法っても、魔法使いの仕業《しわざ》ってわけじゃなさそうなのよね——えっと、分かるよね。とりあえず、キズタカもここに来ない?現場の方が話しやすそうなの。あ、この回線、駅の公衆電話からなんだけど……迎えに行くのが今からだからさ』 「いや、迎えはいらない。ぼくは電車で行くよ。寿命を無駄に消費したくないからね。それに、これから展開がどうなるか分からない今、りすかもあたら無駄に魔力を消費すべきじゃないだろ。りすかは『魔力』を、ぼくは『時問』を、あたら無駄にすべきではない。元々ぼくはりすかの賛同が得られなかったところで今日は一人でもその駅まで行くつもりだったから、お金は用意してるしね。そういうわけで、そこで待っていてくれるかい?」 『準備のいいところが、わたしがキズタカを評価している部分なの。分かった。よろしく言っておく相手を、チェンバリンにしておいてね』  通話を終え、ぼくは階下に向かった。コーヒーショップは既に開店の時間を迎えていたが、店はからっぽでカウンターの向こうにチェンバリンがいるばかりだ。まあ、一杯二千円のコーヒーを飲もうという酔狂な人がこんな地方都市にそうそういられても困る。ちなみにぼくは子供舌なので、コーヒーは苦手だった。缶コーヒーやらなら別に構わないのだが、チェンバリンは砂糖やミルクをコーヒーに入れることを許さない。こだわりの店なのだ。いつかチェンバリンの出すコーヒーの味を楽しめるようになりたいというのはぼくの偽らざる本心なのだが——そのときまで、果たしてりすかとの付き合いが続いているかどうか。続いているとしたら、りすかを完全に手中に収めることができるほどにぼくが成長している『未来』がなければならないのだが……そうでなければ、ぼくが『未来』を完全に失っているか、か。ぞっとしない話だ。それはつまり、あの考えの足りない享楽《きょうらく》的な同級生どもや無能の教師陣ども、総じて魔法使いでもなんでもない普通人《できそこない》どもと、同じレベルにまで堕落《だらく》してしまっているということだから。堕落した人生でコーヒーなんか楽しんでもしょうがない、そのとき飲むべきは青酸カリだ。ぼくはチェンバリンに「りすかは福岡に行きました。ぼくもこれから追いかけます」と、なるだけ単純にことの次第を伝える。チェンバリンは「供犠様、お嬢様をよろしくお願いします」と、深くぼくに一礼をした。りすかは『手に余る』がゆえにともかくとして、この老人からぼくはその程度の信頼は勝ち得ている。大人から信用を得るのはそんな難しいことではない、相手が老人ならば尚更《なおさら》だ。チェンバリン——彼はりすか同様森屋敷市、魔道市出身ではあるのだが、魔法は一切使えないとのこと。『魔法の使えない魔法使い』……その意味の判断は、今のぼくは保留している。『おいしいコーヒーを作れることが、チェンバリンの魔法なのよ』とりすかは言うが、そんな言葉で誤魔化されてあげようとは思わない。が、チェンバリンが魔法を使えないという事実だけはどうやら真実のようなので——つまり、能ある鷹が爪を隠しているわけではないというようなので、この問題に対する優先順位は比較的、ぼくの中では低いというだけだ。まあ、コーヒーショップの店主というのは、持っておいて困る駒ではないさ。「はい。それでは。少なくともりすかだけは、今日中に帰すようにしますから、チェンバリンさんもご心配なさらず、お仕事に精を出してください」と言って、ぼくは店を出ようとした。自動ドアが開かない。センサー式でなく重力感知式の自動ドアだから、ぼくの体重では反応してくれないことがたまにあるのだ。全く、今時こんな欠陥システムの自動ドアを採用しているところが、このコーヒーショップの中で一番気に入らない点である。ぼくは思い切りジャンプして、全体重を乗せて、足下のマットを踏んだ。ドアが開き、今度こそ、ぼくは店から出た。それから、福岡に向かうため、まずは最寄の地下鉄駅に向かう。地下鉄——電車、か。 「魔法関係……しかも、魔法使いの仕業じゃないってことは——ぼくにとっても、りすかにとっても、悪い情報じゃあ、ないよな」ぼくは、りすかなら一瞬もかからず消費してしまう、その道程の中、じっくりと考える。 「生まれついての『魔法使い』ってのはとかく厄介で駒になりにくいところがあるが——後天的な『魔法』使いなら、その余地はある」 『城門』の向こう、長崎県出身の人間、魔法使いというのは、いくらぼくの住む佐賀県とはお隣さんとは言っても、先にも言ったようほとんど外国みたいなものだから、文化が違って共通項を探りにくい。りすかにしたって、どうにも根本的にかみ合わない部分があって、それもりすかが『手に余る』原因の一つだ。人の性格を把握するのはぼくの得意分野だが、りすかに関してのみは、ごくたまに外してしまうことがあるのは、そう、認めなければならない。たとえば今回の件で四人の人間が死んだわけだが——その程度の事実、ぼくに言わせれば全然大したことのない話だが、以前似たような事件があった際、りすかは言ったものだった。『死んだ人間には、それぞれ家族があって、友達がいて、恋人がいて、敵対者がいて恩師がいて弟子《でし》がいて——「彼」が死んだというのは、その全てが消失してしまったということなの。それだけ莫大なものを壊してしまった犯人を、わたしは許すことができない』。それだけ聞けば安っぽいヒューマニズムにも思えるのだが——りすかが言った場合ニュアンスがややずれている感があり、それがぼくにとっての引っかかりになっていた。どんな低能にだって基本的に生きる権利があるとはぼくも思うが、それがりすかの意見と一致しているとは思えない。ともあれ、魔法使いの誰もがそんなずれた感性を持っているというのなら、それは明らかな不都合でしかない。……ぼくが『手に余る』と思いながらそれでもりすかと行動を共にしている理由の一つは、りすかについて回っていれば他の魔法使いに出会える可能性がぐんと高まるからだ。実際、狙い通り、この一年少しの間に、何人かりすか以外の魔法使いにも会ったのだが——結果は、いかにも芳《かんば》しくなかった。りすかの魔法よりはまだ建設的な『魔法』を使える魔法使いがいたところで、その魔法使い自体がぼくにとって使える駒でなければ意味がないのだ。道具も人間も、結局自分が使えるかどうかというのが判断基準であるというべきだろう。その意味じゃあ魔法使いは、どんな存在にしたところで多かれ少なかれ、駒にするのは難易度が高いということになる。だが——生来の魔法使いでない『魔法』使い、後天的な魔法使いならば、元々は普通の人間だったわけで、そこにつけ入る余地はある。それは結局比較論の話になってしまうわけだが……。さておき、そして『魔法使い』よりも『魔法』使いの方が都合がいいというのは、りすかにとっても同じである。後天的な魔法使いということは、当然『誰か』、その人物に魔法を教えた者がいるということで——人間に魔法を教えるのは、そりゃあ悪魔と相場が決まっているのだから。 「お待たせ」 一週間ぶりに福岡県、博多市新木砂駅に到着し、一番ホームに移動したところで、ベンチに座って『きちきちきちきち…』とカッターナイフで遊んで暇《ひま》そうにしていたりすかに声をかける。りすかは気だるそうに、前にずり落ちてきていた帽子の位置を直しつつ、「もう、待っちゃったのがわたしだったよ」と、ぼくに文句を言ってきた。もしもりすかの時間移動能カが、自分ではなく周囲に作用するそれだったのなら、その退屈もなかっただろうに。りすかは立ち上がって、脇に置いていた帽子をかぶり直す。 「で、りすか。早速だけど、首尾は?」 「……キズタカが並んでた乗車口って——つまり、線路に飛び込んで命を散らしたのがその四人の『犠牲者』だった場所って……あそこ、だよね」りすかはホームに書かれた白色のラインを指さす。「あの辺の線路部分に、びっしりと、魔法式が描かれてる」 「式?陣じゃなくて?」 「式」  短く答えるりすか。,ぼくはりすかが指さした方向に歩いて行って、覗き込むように線路をチェックするが、無論、ぼくには何も分からない。魔法陣も魔法式も、見破るためには一定の手続きが必要なのだ。その手続きを踏む資格は、しかも、ぼくにはない。 「魔法式ってことは……犯人は、事件当時、この辺にいたってことか。つまり、ぼくは犯人を見ている可能性があるってことだな」 「ん……そうだね」りすかもぼくの後ろにやってきた。一歩歩くごとに、右手首の手錠のリングがぶつかり合って、しゃらんしゃらんしゃらん、と音を立てる。まるで猫の鈴のようだ。「ちょっと見えるようにしてあげるね。キズタカ、ちょっとそこをどくのがキズタカなの」  言ってりすかは、カッターナイフで自分の指先を傷つけ、線路に向かって一滴、その雫をたらした。次の瞬間には手袋の傷だけが残ってりすかの指の傷は治癒されていて——りすか自身の時間をどれくらい『省略した』のだろうか——そして、線路の上にぼわっと、赤く、複雑な紋様のようなものが——薄く、しかしはっきりと、浮かんだ。成程——魔法式。見るのは初めてではないが、本当、見ていると頭がぐちゃぐちゃになってしまいそうなほど、複雑怪奇な絵模様だ。実際、りすかの話では、何の魔法も使えない、耐性も免疫もない人間が、長時間魔法陣や魔法式を見ていると、場合によっては発狂してしまうこともあるそうだ。二秒ほどして、魔法式は線路上から消えた。ぼくはふと、プラットホームを見渡す。日曜の昼間とは言え、地方都市のこと、それほど多くの人間はいない。ぼくとりすかが何をやっているのか、誰も気付いている様子はなかった。ま、傍目《はため》からみればただの小学生二人、注目するには値しないだろう。物事の価値の分からない馬鹿どもめ。愚昧《ぐまい》な人間ばかりだと操るのにも逆に苦労するんだけどな。先が思いやられる。 「酷く、レベルの低い魔法式なの」りすかは言う。「まあ、この程度の魔法に魔法式使ってる時点で、決定したようなものなのは『犯人』が長崎県出身じゃないっていうことなんだけどなんだけどね……」  魔法とは数学のようなものなの、と、付き合い始めて初期の頃、りすかはぼくに説明した。数学のようなもの——つまり、努力すれば誰にでもできる、日常生活の延長上、という意味らしい。時間さえ——『時間』さえかければ、できない落ちこぼれの現れない『技術』。その言に従って言うのならば、魔法式とは文字通りに『式』で、魔法陣とはそれよりクラスの高い『公式』ということになるのだと思う。魔法陣は要するに『罠』——術者本人がそばにいなかったところで、一定の条件がクリアされフラグが立ったならば、その瞬間に『魔法』が発動する。その意味ではやはり文字通り口を開けて待ち構える『陣』だ。振り返って魔法式とは、手続きの省略、カンニングみたいなものである。術をかける対象にその『式』を先に描いておいて、呪文の詠唱時間を省略する、乱暴に説明するならそういうことだ。事前に術の下ごしらえをしておくことによって、本番での手間を省く。奇しくもそれはりすかの魔法である『時間の省略』ということなのだが——さっきのような複雑な紋様を描くまでしなければ詠唱時間の省略さえされないような『呪文』——とかく、魔法の世界は奥が深い。ちなみに、先に言ったよう魔法陣は『罠』、それ自体が『魔法』なので術者本人がどこにいようと『自動的』に発動するし、遠隔操作も可能だが、魔法式はあくまで『式』、遠隔操作が不可能で、その『式』のそばに術者がいなければならない。だから、この事件の『犯人』は——あのとき、このぼくのそばにいた、ということになるのだ。この——ぼくの、そばに。 「……だがりすか。魔法式が線路に描いてあるってのはどういうことなんだ?人心操作にしろ念動力にしろ、魔法をかける対象は『犠牲者』の四人であるべきじゃあないのかい?」 「つまり、人心操作でもなければ念動力でもないのが、使用された魔法ってことなの」りすかはにやりと笑って言う。「これは、召喚魔法って奴なのね……属性は『風』。呼び出したのは、多分、『真空』なの」 「真空を呼び出した?」 「うん。まあ、レベルの低さはその事実からも導き出せるの……真空なんて、この宇宙のほとんどを占めている、どこにでもあるありふれた『物質』なんだから」りすかは再び、線路に視線を落とした。先ほど、魔法式がちらりと顕現した、あの辺りに。「こともあろうか、その『犯人』……あの辺りに、巨大な『真空』を召喚したの。すると、どうなると思うのがキズタカなの?」 「……ああ」  吸い込まれるようにして線路に落ちて行った四人の『犠牲者』——成程、そういうことか。確かにそういう力技を使えば、人心操作もサイコキネシスも、そんな高度な魔法は必要ない。変則手ではあるが……。召喚魔法(まあ、己に作用しない空間移動能力——ってところか)はクラスの低い魔術だし(りすかの時間移動能力より、五つはランクが下の魔法だ)、りすかの言う通り、真空のような『無』に近い存在の召喚となれば、更に難易度は下がると聞く。そして——そんな難易度の低い『魔法』に、わざわざ魔法式を使用していることからも、『術者』——『犯人』が魔法使いでない、長崎の住人でないことは、明瞭だった。 「当てが外れた?キズタカ」りすかはいたずらっぽく笑って言う。「そんな弱い『魔法』使いじゃあ、キズタカの兵隊として役に立ちそうもないもんね」 「……ふん」いやな笑い方だ。まさかぼくを見透かしたつもりにでもなっているのだろうか?まあいいさ、許してあげよう。「難易の高度低度、レベルの高さ低さってのはあっても、どんな能力だって、強いとか弱いとかじゃ測れないさ——要するに、大事なのはその能力を使いこなせるかどうか、だ。『強い』ってのはね、りすか。自分の才能を使う場所《ステージ》を知っている奴のことだよ。普通人も魔法使いも、それは変わらない。りすかだって——『時間』を操作する、運命干渉系の魔法を、使いこなせているとは言い難い。それほど強大な魔法でありながら、ほとんど意味がないっていうんだからな。使えない才能は、ないのと同じなのさ」 「……ま、そうかもしれないの」あっさりと、認めるりすか。「ああ、それに——キズタカ。前言撤回ってわけでもないけど、この『犯人』——ひょっとしたら、まるっきり弱いってわけでも、ないかもしれないの。真空を操作できるってことは——『式』さえ練られれば、カマイタチを使用できるってことだから」 「カマイタチ……真空刃、ね」 「電車で轢くよりは威力は劣るけど……それでも十分、危険ではあるの。あと、それに、真空の誘電率って問題もあるし、最悪なのはこちらが存在している座標に真空を召喚されることかな。原理的には、裸《はだか》で宇宙に放り出されるのと同じだから。ま、これで『敵』の魔法ははっきりしたわけなのね。属性『風』で、種類は『召喚』。あとは——目的、なんだけど……。手段がはっきりしたところで——つまり『同時性』と『不可能性』は削除されたところで……あとに残るのは『欠く関係性』の問題点。それは、何なのだろうか、分からないのがわたしなの」 「『犯人』が魔法を使えるなら、そんなのは簡単だよ。いつも言ってるだろ?分不相応な暴力を手に入れた人間がやることと言えば、古今東西いつでもどこでもただ二つ。その暴力によって『上』を打ち崩すか——その暴力によって、『下』を蹴《け》散らすか」 「……そっか。キズタカの同級生たちが、蟻《あり》の巣にお湯流し込むのと、同じなのね」 「そういうことさ。強くなったつもりの馬鹿ってのは、その暴力を試さずにはいられないんだよ。それこそが己の考えが浅いことの証明になるとも知らず」  やれやれ、りすかの言葉で、思わず思い出したくもないクラスメイト達のことを思い出してしまった。あんな普通人《できそこない》ども、日曜くらい、りすかと一緒にいるときくらい、忘れていたいものなのに。ぼくと同じ年齢でありながら、全く考えるということをしない、動物以下の存在。手のかかるという意味では動物以下とも言える。子供の頃から準備をしておかないと、将来いざ比喩ではない戦場にたったときにどういうことになるか、奴らは想像もしないのだ。知識が足りないのは環境の問題もあるから仕方ないにしても、せめて自分の将来の『時間』についてくらい、考えてみたらどうだ。子供だからって甘えていると、その内缶コーヒーみたいなちゃらい大人になってしまうというのに、誰も危機感を抱こうとしない。一人くらい、学年の中に、ぼくが『異質』であることを見抜く奴がいてもよさそうなものじゃないか。そうなったときこそ、ぼくはその『敵』の存在を、両手を広げて歓迎しようというのに。まあいいさ、ぼくはお前らが愚かであることを、今のところは勘弁してやる。精々推理小説でも読んで、頭がいい気になっていろ。 「……じゃあ、たとえ魔法式のことがなかったとしても、間違いないのは、近場に犯人がいたということなのね。暴力を行使したんなら——その現場を見たくてしょうがないだろうから。自分の暴力の成果を、その眼で確認したいだろうから」 「そうだね……ふん。ぼくのそばに、か……」  犠牲者の連中がぼくの直《す》ぐ前にいた以上、やはり、どう考えてもそういうことになるのだろう。考えてみれば、ぼくはあのとき、かなり危ないところだったのだ。もう少しでも、あと一歩でも前にいたとすれば——つまり、四人の内の一人でもが、欠けていれば——ぼくもまた、線路の上の真空に、吸い込まれていただろう。そして命を散らしていたはずだ。危ないところだった。こんなところで、まだ具体的に何をしたわけでもないのに、死んでたまるものか。ん。いや、待てよ…… 「りすか。その魔法式は——どれくらい、呪文の詠唱が省略できるレベルの代物なんだ?魔法発動のための詠唱時間は最終的にどのくらいになる?」 「どのくらいって——人を四人、この距離で飲み込むレベルの真空召喚だとして——まあ、術者のクラスにもよるけど、魔法式がこの程度のクラスなら……概算で、そう——詠唱時間は一秒、前後ってところなの」 「ふむ」 「どうかするのはそれなの?しかし下手糞《へたくそ》な魔法式なの……代数を使えば、もっと単純化できると思うのがこの魔法式なのに。前もそうだったけど——普通の人間に理解できるレベルは、この辺が限度なのかな」りすかはカッターナイフの刃を出す。また、さっきと同じように、手袋ごと、自分の指先を傷つけた。「まあ、二度とやらないのが同じ場所で同じことだろうけど……一応、この魔法式、崩壊させておくの」 「ああ。やっちまえ」 「ほいっと」ひゅん、とりすかはカッターを振るった。ぼくには何が起こった風にも見えないが、りすかは「よし」と頷く。「処置完了。ちょろ過ぎなの」  りすかが今行った行為は、『解呪』《キャンセル》という。魔法陣や魔法式、あるいは魔法そのものを無効果に無効化してしまう魔術の一つだ。そんな難しいものではないが、かといって簡単というわけでもない。りすかだから——りすかだからこそ、呪文か詠唱もなく、実行できる術なのだ。そう——りすかは、ほとんどの場合において、呪文の詠唱を必要としない。なぜならば——その肉体の、ぼくより少し背の高いくらいの肉体の中に詰まっている血液が、そのまま魔法式の役割を果たすから、である。りすかはありとあらゆる魔法式を、体内にあらかじめ『施呪』《プログラミング》されているのだ。それが水倉りすかが、その若さ——というよりは幼さの内に、乙種魔法技能取得者である理由——天才である理由。だからりすかは魔法を使おうと思えば——軽く血を流せば、指先をカッターで切るなどして血を流せば、それで十分なのである。『赤』き——『時』の、魔女。ちなみに、そこまで高度な魔法式をりすかの血液内に織り込んだのは、りすかの父親——現在目下行方不明中の、水倉神檎《しんご》、その人だ。りすかは——『彼』を、探している。彼を探して、『城門』を越えてやってきた。彼の、手がかりを、どんな細かいことであれ、見逃さないよう、目を皿にしている。たとえば——『人間』に『魔法』を教えることを趣味とする『彼』の手がかりとして——この事件に興味を示した、ように。 「その可能性はどうなんだい?りすか。親父さんの仕業っぽい?」 「ん、さあ。どんな属性のどんな魔法でも、使えるのがお父さんなの。『万能』……お父さんが教えたにしては手際が悪過ぎる気もするけど……でも、手際が悪いのが人間なだけかもしれないし」 「人間に魔法を教えようなんて酔狂な魔法使い、数がいるとは思えないけどね」 「そりゃ、そうなの……じゃあ、追ってみることに決めるのが、この事件にしようかな」りすかはここで、ようやくその提案に本格的な決定を下したようだった。あちこち出回ってもほとんど父親の手がかりなんてない最近、藁《わら》にもすがるような気持ちなのだろう。魔法使いは海を渡れないので、水倉神檎がどこへ行ったのだとしても、生きていれば九州から出てはいないはずなのだが、二年少し探し続けて、りすかはまだその尻尾《しっぽ》すらつかんでいるとは言い難いのだから(まあ、二年の内最初の一年は、りすかのやり方がまずかったとも言えるわけだが)。「じゃ、キズタカ。目撃者はキズタカなんだから、思い出してみて。絶対に怪しい奴を見ているのが、キズタカなはずなんだから」 「そんなこと言われてもね——やれやれ、魔法で犯人が分かったら、こんな事件、一発なのに」 「未来視や過去視は、運命干渉系のかなり上位なの。わたしも、まだ会ったことがないの」 「だったね。えーっと、さっきの話なんだけど……一秒、呪文を詠唱しなくちゃいけないって話だったよね?でも——ぼくのそばに、一秒もの間、そんな呪文らしきものを唱えている奴なんか、いなかったな。そんな奴がいたら、絶対に気付くはずだ」 「そう。キズタカも、呪文を聞いてそれを呪文だと判別するくらいの経験は、もう積んだものね……」 「ちなみにその魔法式、術者はどれくらいそばにいなくちゃならないんだ?魔法陣ならどれだけ離れていてもいいけど、数少ない例外を除いて、魔法式はそうじゃないんだったろう?」 「五メートル——から十メートルが限度ってとこだと思うの。ま、あんまり近過ぎたら、自分が巻き込まれて電車に轢かれちゃうし……『犯人』としてのスイートスポットは、キズタカがいた場所だと思うけど。真後ろで、四人、が吸い込まれてばらばらになっていくサマ、はっきりと見えたのでしょう?」 「でもぼくは、どんな易しいものであったところで、魔法は使えない」 「じゃあスイートスポットの2として——キズタカの直ぐ後ろ。キズタカの身長なら、大人の人がその後ろに並んで、前が見えないってことはないと思うの」 「ぼくもそう考えた」ぼくは用意していた答えを言う。「でも、さっきも言ったけど、すぐ後ろにいた人間が一秒もの間、呪文を唱えれば、気付くさ。それはぼくじゃなくてもね」 「キズタカじゃないのが目撃者だったとしても気付くかどうかはともかく……キズタカが気付かないってことはないね。注意力の高さこそ、キズタカなんだから」 「と、なると……スイートスポットの3を探すことになるんだけど——どこからなら、四人が吹っ飛ばされてばらはらになるの、見やすいかな。近く——そう、ぼくが並んでいた乗車口の、両隣……いや」ぼくは自分の言葉を否定する。「右側からだと『犠牲者』達は電車の車体の陰になって飛び散るところが見えにくいし——左側からだと、飛び散った部品が、自分のところに飛んでくるかもしれない。それは、危険だよな……あえて可能性がある方を言うならば、左側手になるんだろうか。でも、何て言うか……角度的に、やっぱベストポジションとは言えないよね」 「ん……」りすかは左隣の乗車口に移動する。そして、電車が来る方向を覗き込むようにした。「……やっぱここじゃ危ないの。それに、ちょっと……遠い、かな。ぎりぎり、厳しいと忠うの」  3ドアー式や4ドアー式の電車くらいならともかく、2ドアー式の、同じ車両のドアー部分だから、そういう計算になってしまうようだった。五メートル、ということだったか。飛び散った部品が飛んでこないような場所、つまりその乗車口にできる列の後ろの方に並んだら、三角関数の理屈で、更に距離は伸びてしまうわけで……『ぎりぎり』か。 「けど、容疑者はそこに並んでいた人間達以外、消去法的には今のところいないね。どんな人達だったかな——そんな、無駄に混んでいたわけじゃないから、忘れてもいないと思うんだけど……やれやれ、ぼくも不注意だったな。目前の連中が線路に飛び込む事態くらい、想定しておくべきだった。それでなくとも、その事実目撃のあと、現場に残って周囲の連中の騒ぎを、しっかり観察しておくべきだったか……」 「それをしたら、一番疑われるのがキズタカだから、逃げたんでしょう。今頃警察はキズタカのことを捜してたりしてね」 「捜したきゃ好きなだけ捜しゃいいさ。逃げたって言い方は気に食わないけど……ま、そうなんだよね……・あ」ぼくは手を打つ。「りすか、他の選択肢もあったよ。何かって?発想の転換さ……四人の内の誰かが、魔法を使える人間だった——と、いうのはどうだい?直ぐ前の二人くらいならともかく、一番前に並んでいた人間が一秒くらい呪文を唱えても、ぼくには分からない」 「ん……つまり、自殺ってことなの?非常に回りくどい、四人の心中って……」 「心中である必要はないけど。四人の内一人だけが自殺で、他の三人は巻き添えを食っただけということも考えられる。無論、四人の心中でもいいけど……関係性のなさから考えると、巻き添えって線の方が高いね」  だとすればぼくはこの『犯人』に対する見方を変えなければならないだろう。暴力を得たことによる古今東西の選択肢、その二つを、どちらも選ばなかったということになるのだから。ま、既に死んでしまっているというのならば——りすかにとってもぼくにとってもその『犯人』は役立たずということになるが、役立たずなもの全てに価値を見出さないほど、ぼくもりすかも、粋《いき》でない存在ではない。ただ線路に飛び込むのではなく、魔法を使って死にかかるなんて、見事なものではないか。巻き添えがでたのは美しくないが、そんなものは瑣末《さまつ》な問題だ。しかしりすかは「それはないね」と、ぼくの意見をあっさりと否定した。 「なかったのは言ったことだったっけ?魔法で自殺はできないの」 「……自殺、できない?」『魔法』に実際に接するようになって一年少しになるが、それは、初耳だった。「どういうことだよ。簡単だろ?前にいたじゃないか。自分で作った魔法陣に、自ら嵌って昇天した魔法使いが」 「あれは事故、つまりは過失、自殺じゃないの。ん……魔法ってフィジカルじゃなくてメンタルなものだっていうのは分かるよね?よかれ悪かれ、とにかく精神を集中しなくちゃいけないの。その意味では逆に動物的行為とも言える——本能的っていうのかな。元々なんであれ、『弱い』から『強く』あろうとする手段が、『能力』なんでしょう?魔法もまたしかり。生物には防衛機能っていうのがあるからね。手首を——」カッターナイフを示すりすか。「手首を切るなら無心になればそれでいいが、魔法は無心じゃ唱えられない。何も考えずにできないのが、微分積分でしょう?同じことなの。魔法式を使っても魔法陣を使っても、それは同じことなのね」 「ふうん——知らなかったけど、なるほど、考えてみりゃ当然のことだ。これはぼくが迂闊《うかつ》だった、悪かったね、くだらないこと説明させちゃって」 「『魔法の王国』でさえ、自殺できた魔法使いなんて、歴史上一人しかいないの」 「一人いるのか?誰?」 「わたしの、お父さん」りすかは言いにくそうに、一種恥ずかしそうに、言うのだった。「お父さん、甦生と蘇生の魔法も使えるから」 「……いつもながら、ぶっとんでる親父さんだね」  水倉神檎。その評判……伝説を聞く限りにおいて、是非ともぼくの駒の一つに欲しいところだが、やはり、『手に余る』だろうか……何せ、このりすかを『作った』、親父さんだからな。あまり能力のあり過ぎる駒は、りすか同様、多分それ以上に、使いにくいから……まあ、会えて損をするというような種類の人物でもなさそうだから、父親が見つかるまでは、最低限、りすかとは付き合いを持っていていいかもしれない。その間に、他にぼくにとって有益な魔法使いも見つかるかもしれないし。正直な話、ぼくはりすかに出会う以前、魔法使いというのは『より優れた人間』なのだろうと思っていた。これは馬鹿な大人どもが西洋人のやることは全部正しいと思っているのと同じ理屈だろう。だからこそりすかに出会ったとき、あそこまで感動したのだが——魔法使い全体の大したことのなさを知っていれば、あのときももう少し冷静でいられたことだろうと思う。りすかを含めて、今まで会った魔法使いそれに、魔法使いから薫陶《くんとう》を受けた人間、『魔法』使い——誰も、誰一人として、自分の魔法、自分の能力を使いこなせていない。ぼくから見れば、何故彼らが勿体《もったい》ないと思わないのか本当に不思議だった。どうしてそんな無駄使いをするのか理解できない。本当、世の中の連中ってのはどうしようもない無能ばかりなのだろうか。駒としても使えない生まれついての引き立て役が多過ぎる……『手に余る』とは言え、その意味では、りすかはまだマシな部類に入るのかもしれない。 「……あ」りすかが、不意に、声をあげた。「他にもスイートスポットがあったの、キズタカ」 「うん?どこだ?」 「あっち側」  りすかが指さしたのは、向かいの二番ホームだった。博多駅発の電車が来る、さっきぼくが降りたホームだ。指差すのに使ったのが右手だったので、それに合わせて手首の手錠がしゃらん、と鳴る。 「……ああ」見れば、丁度、魔法式が描かれていたその正面が、あちらでも乗車口になっている。なるほど、あそこに立って、待っていれば……正にスイートスポットではないだろうか。距離的にもいいし、真空が召喚されたとしても、あれくらい離れていれば、自分が吸い込まれることもない(第一のスイートスポットと考えられたぼくの位置では、やはり危険がある)。「いいね、あそこ。あそここそ、ベストポジションだ」 「行ってみるの」 「うん」  新木砂駅には一番ホームと二番ホームの二つしかない。階下のその二つのホームが階上で連結されている形だ。ぼくらは階段を昇り降りし、一番ホームから二番ホームに移動した。一番にしろ二番にしろ、やはり人がまばらなのは同じだった。ぼくらとしては好都合だが——いかにりすか本人が『隠すつもりはない』とは言っても、いきなり時間を『省略』して、消えたり現れたりするところを目撃されれば、好ましくない騒ぎが起こってしまう可能性もある。ぼくがチェンバリンから『よろしくお願い』されているのは、その点なのだ。馬鹿な普通人《できそこない》どもの中には、自分と違うというだけで、魔法使いを『半魔族』と呼んで忌避《きひ》する奴もいるのだ。いわゆる魔女狩り思想だが、愚かしいことこの上ないとしか、ぼくには言えない。いかに国家が法律によって魔法の存在を否定しようと、『城門』で彼方と此方に隔てられていようと、そこにあるものはそこにあるのだ。そりゃまあ、『魔法の王国』側の排他的、あるいは『城門』こちら側の人間を無能者と見下している風潮がある性格に起因している魔女狩り思想であるとも言えるのだが、いい大人がそんな子供の喧嘩《けんか》みたいなことをやってどうしようというのだ。折角の有益なエネルギーを利用しなくてどうしようというのだ、現実を把握《はあく》しようともしない臆病者どもめ。どうせ、議論して相手を見下せば賢く見えるとでも思っているのだろう。議論にもならない言い捨て以外にやり方も知らない癖に、全く、お前ら如きにはヘボ将棋すらさせまい。まあ、頑張って回り将棋でもやっていればいいさ。ぼくは軍人将棋をやらせてもらう。 「ここなの」二番ホームに到着して、りすかは先ほど指定した『スイートスポット』に、自ら立った。「うん——ここからなら、よく見える。そうだね、間違いないの、キズタカ。『犯人』は、この乗車口で、一番前に並んでいた人間なの。多分警察とかの人達が調べてるのは一番ホームの人間だけだから、ノーチェックなのがこっち側なのよね。キズタカ……憶えてないかな?ここに立っていたのが、誰か不審な人間じゃなかった?」 「……と、言われてもね。四人が飛び込む寸前まで、ぼくの前にはその四人が壁になって前は見えなかったわけだし——その四人が飛び込んだ後には、問題の電車の車体があの辺りまで入ってきていて、ぼくにはこっち側の二番ホームまでは、見えなかったわけだし。ここにいた誰かが見えたとしても、それは一瞬のことだよ。さすがのぼくでも、こればっかしはね」 「ん……じゃあ、手詰まりなの」 「いや、そうでもないよ。人間には習慣性ってものがあるからね1蛇の道っていうのかな。『犯人』は、だとしたら、この新木砂駅のこの二番ホームを、普段利用している人間だということが考えられる——人間、物事を試すのには、自分のテリトリー内を選びがちだからね。ひょっとするといつもこの場所に並んでいるかもしれない。安心感があるってことだろうけど——そんな大きな町でもないし、しらみつぶしにあたっていけば、こんなところでこんなことをしでかすような無防備な奴だ、見つからないってことはないよ」 「あー……面倒なの」りすかは後ろに下がっていってベンチに腰掛け、りすかの部屋でぼくが手渡した、地図と時刻表のコピーに目を落とした。きっと、新聞のスクラップも持ってくるべきだったと思っていることだろう。「また、魔法陣構えて、待つのを気長にするしかないのかな……」 「だろうね」 「わたし、魔法陣描くの苦手なの……わたしの場合自分の血を使わなくちゃならないから、あんまり大きな規模になると、貧血になっちゃうの。細かい字とか書くの嫌いだし」  あんな複雑怪奇な魔道書の写しを趣味としている奴が何を言うかと思ったが、その辺の機微は魔法の使えないぼくには測るべくもない。が、それしか手段がないからには、手段が愉悦を備えてなかろうが愉悦が手段を備えてなかろうが、それを実行するしかないだろう。いくら人が少ないとは言え、今やると目立つので、別の時間——『時間』を選択しなくてはならないか……まあ、ここまで来たのは無駄足ではなかったということか。それだけでも救いといえば救いだ。偏在自在のりすかと違って、子供料金で半額とは言え、県を跨《また》ぐと結構ばかにならない。ぼくは、りすかにとっては何の意味にもならない、己の左腕の腕時計を見た。正午、ちょっと過ぎ。そうだな、いい頃合だし、どこかで何か、腹に入れておくことにするか……りすかは財布を持ち歩かないので、ぼくが奢《おご》らなければならないのだが、その辺はまあ、必要経費と言う奴だ。出世払いで返してもらえればそれでいいさ。 「なあ、りすか。ちょっと息抜きに外に出ないか?」 「……………………」  返事はなかった。りすかはベンチに腰掛け、既にコピーをしまっていて、ぼおっと、天井の方を見上げていた。恐らくは無意識にだろう、カッターナイフを『きちきちきちきち……』『きちきちきちきち……』と、出し入れしている。きちきちきちきち——きちきちきちきち——きちきちきちきち——きちきちきちきちきちきちきちきち—— 「おい、りすか?」ぼくは無駄と思いつつも、声をかける。魔道書の写しをやっていたときもそうだったが、何かに集中しているりすかに、外からの声はとどかない。究極的に自分の内だけで閉じているのは、りすかの魔法だけではないということだ。「おい、りすかってば」 「キズタカ」やがて、りすかはぼくを見た。またずり落ちてきていた、三角帽子の位置を修正しながら。「ひょっとしたら、犯人、分かったかもしんないの」 「え?」 「ん……これなら、多分、間違いない——と、思うの。いや、どうなのかな——一秒くらいなら、可能かな……でも、もうそれしかないのが、方法だし。だとすれば——これは、今まで考えていたような事件とは、別なのかもしれないの。ねえ、キズタカ」 「なんだい?」 「その——四人が轢かれた電車を動かしていた運転士から、話を聞くことは可能なのかな?もし可能なのがそれだったら……この事件は、解決すると思うの」 「運転士……か。確か、業務上過失致死で送検されてるはずだぜ。まあ、ことがことだし、拘置されてるってことはないと思うけど……その辺は、ぼくの父親に聞いてみないとなんとも言えないかな。あの人にしたって、ここは福岡県だから、管轄は違うわけだし」ちなみにぼくの父親は佐賀県警の幹部だ。滅多《めった》に顔を合わせることはないが、こういうときに利用するには有益な人材である。ぼくにとって厄介な人間ではあるが、まあ、少なくとも無能ではない。「でも、その運転士が、何かを知ってるって言うんだね?」 「うん。そういうことなの」 「そっか——じゃあ、聞いてみる。テレカ、貸して。電話かけてくる」  ぼくはりすかからテレホンカードを受け取って、プラットホーム内に公衆電話を探す。見つけた。背伸びをして受話器をとって、カードを入れる。父親の携帯電話の番号をプッシュしようとするが、ボタンの位置が高いので、「2」を押すはずが間違って「5」を押してしまった。一旦受話器を置いて、かけ直す。全くこの公衆電話というものは、一体何を考えて設置されているのだか。どうしてこんな高い位置に設置する。今回はテレホンカードだからまだいいが、硬貨で電話をしようとすれば、ぼくの身長では何か踏み台を用意しないと硬貨の投入が不可能だ。大人は携帯電話を持っているんだから、せめて公衆電話においては、もっと子供のことを考えて欲しい。人の上に立つ者が雑魚《ざこ》だと、あちこちでこういう事態が生じる。ったく、何の能もない奴は大人しく、精々使われていればいいんだ。一生こなしてろ。ぼくは二度目、今度こそちゃんと狙い通りの番号をプッシュして、父親の携帯電話に連絡を取った。適当に社交辞令の挨拶をしてから、くだんの運転士について質問してみる。書類送検されたところまではぼくの知っている通りだったが、事故による心神喪失で、博多市内の警察病院に収容されているそうだ。四人の人間を殺してしまったんだ、スケールの小さな人間ならば無理もない。運転士の名は高峰幸太郎《たかみねこうたろう》、四十七歳、独身、家族なし。鉄道会社には既に辞表を提出しているそうだ。辞表——鉄道の場合は自動車などの場合とは違い運転士に責任はないので、業務上過失致死とは言ってもクビにはならないはずなのだが、ことがことだけに、仕方ないのだろうが。ぼくはその他、一通り情報を引き出してから、父親に、その運転士と面会が可能かどうか訊いてみる。あの事件に関しては福岡県警でも大体の事情聴取は終わっているので、子供達だけでは無理だろうが、自分が同行すれば、それは不可能ではないだろうということ。りすかの存在を父親は知っているので、その辺の話は通し易かった(勿論、りすかが魔女であることは秘密だが)。ぼくの父親はりすかに甘いのだ。他人事ながら、子供に甘い大人というのはどうも好きになれない。まあ、他人の価値観に口を出すつもりはないが……。色々と仕事もあるし、警察の人間が県外に出るのには手続きが必要(らしい)ので、来週の日曜日になら、ということだったので、ぼくはそれを承諾《しょうだく》し、細かい時間と場所などを打ち合わせ、別れの言葉を告げて、電話を切って、りすかの元へと戻った。 「悪い。長電話になった。あの人、話が長いんだよな……残り度数が七になっちゃった」 「構わないの。それより、首尾は?」 「万全。時間は来週の日曜日、午前十一時に博多市内の警察病院——前で、ぼくの父親と待ち合わせ」 「病院?」 「ショックで入院してんだとさ。所定の手続きを踏んで、病室に入れるのは——十一時半か、十二時ってとこだろうね」 「いい感じなの」りすかは微笑んで立ち上がる。「その男のいる場所に会いにいけるという事実さえあれば——それが来週だろうとなんだろうと、わたしにはその過程を『省略』できる」 「病院の位置……つうか、座標はわかるのか?地図はいらない?」 「博多の警察病院なら、以前に見舞ったことがあるから大丈夫なの……病室は何号室なの?」 「六〇三号室。事情が事情だから、個室なんだってさ」 「好都合……誤魔化しがききやすそうなの。キズタカ、今度こそは一緒に『飛んで』もらうよ?さすがに一週間も待てるわたしじゃあないの」 「いいよ……正直言って寿命を一週間も縮められるのはぞっとしないけど、りすかが運転士に何を訊くのか興味もあることだしね」  言って、ぼくは左手を、りすかに向けて差し出した。とりあえず、儀式的な防備として、ぼくは周囲を確認した。やはり、誰もぼくらのことなど注目してはいない。一生かけて地を這うような駄虫どものことだから、こんなこと本当は確認するまでもないのだが……無知蒙昧《むちもうまい》も、あまり度が過ぎると犯罪だな。はん、モーツァルトがいい奴でサリエリはいつも悪党かい?いいさ、二十年後には、ぼくがきみたちに豊かな生活というものを与えてあげよう。それまできみたちが生きていられたらの話だが。……さておき、りすかの『魔法』は自分自身の内面にしか作用しない。『時間移動』に持っていけるものは無機物ばかりで、有機物となれば厳しいが——しかし、方法がまったく皆無、というわけではない。要するにりすかの魔力の源である『血液』に、対象を『同着』させ、さらに『固定』すればよいのである。具体的には—— 「……痛《つ》ぅ」  りすかが、まずはぼくの掌《てのひら》をカッターで切りつけた。続けて、同様に、自身の右掌に、同じ傷をつける。手袋はもう傷だらけだ。それから、ぼくとりすかは、互いの傷同士をパズルのピースを合わせるように『同着』させて——指を組み合わせる。そしてりすかは左手で、右手首の手錠のリング、その片方を外し、そのリングをぼくの左手にかしゃん、と嵌める。その、無骨な手錠によって——ぼくの左手とりすかの右手が、決して、何があっても離れないように、『固定』した。最後に、りすかはぼくの腰に反対側の左腕を回し、ぼくも同じようにして、二人、抱き合うような姿勢をとる。それだけとればクラスの女子達とも大して変わらない、簡単に折れそうな細い腰。肉なんて全然ついてない癖に、妙に骨ばってなく柔らかい。背中に回されたりすかの左腕がどことなく居心地が悪かった。 「えぐなむ・えぐなむ・かーとるく か・いかいさ・むら・とるまるひ——」りすかが呪文の詠唱を始めた。さすがに一週間もの時間を飛ばすとなれば、いかにりすかと言えど、完全に詠唱なしとはいかないのだった。父親に懇願《こんがん》する振りでもして、あと一日でも早めにしてもらっておくべきだったか、と少し反省した。駒の力を無駄に消費させることは、ぼくにとって恥ずべきことだ。 「えぐなむ・えぐなむ・かーとるく か・いかいさ・むら・とるまるく——」  そして——